「多摩川」とは、限りなく麗しい水の流れからこのように名付けられたが、往時は水量も豊かに、 河口に近い高津のあたりではときに放埒によろめいて流れを変えていたことだろう。この水の奔放 な流れの足枷となった河口付近から北西に連なる丘陵を今、「多摩川の横山」という美称で人は呼 ぶ。横山には、古く縄文期からの住いの歴史が秘められていた。縄文時代のいつの頃か、海水が横 山の麓あたりに迄迫ったときがあった。その頃の高津恵まれた環境の中、豊かな暮らしの場であり 、台地に立てば川越しの瀬田の丘から昇る旭日が、やがて富士の向こうに沈む眺めは、ときに人の 心に染みる景観になったと偲ばれる。やがて、奈良朝時代に入ると、横山の一角、「橘」に都をお もわせる七堂伽藍の甍が望まれることとなった。影向寺の建立であるが、関東一円の信仰を集めた この寺の発掘品のなかでも、尤も古い奈良時代様式の鐙瓦を中央に、両脇へ多摩の横山を配し、マ ークを陽になぞらえて、高津の昔しを、「川崎高津ロータリー・クラブ」のバナーの象徴とした。
昭和60年7月吉日